リトビネンコ事件        


2006年11月23日、ロンドン中心部にあるユニバーシティ カレッジ(University College)病院に入院していたアレキサンドル・リトビネンコが死亡した。死因は放射性物質ボロニウム210の服毒による多臓器不全であった。wikipediaによると、彼は1962年にロシアヴォロネジに生まれ、1980年、中学校卒業後、軍に応召。1988年からKGBの防諜部門に勤務。1991年からロシア保安省(MB)ロシア連邦防諜庁(FSK)ロシア連邦保安庁(FSB)の中央機構に勤務した。専門は、テロ対策と組織犯罪対策である。1997年、FSB組織犯罪組織工作・活動阻止局の先任作戦職員、第7課副課長。当時の階級は中佐であった。
2000年11月にイギリスに亡命しロシアに対する反体制活動家ライターとなっている。11月1日、ある調査委員会顧問とロンドン ピカデリーサーカスのすしレストランで会食中に体調悪化により入院。11月20日に、ロンドン警視庁対テロ対策本部は毒殺を企てられたと調査を開始した。彼は、チェチェン戦争の裏側にある、FSBとプーチン政権の腐敗を告発していた。

2006年11月23日のリトビネンコの死亡。その1ヶ月前の10月7日には、ロシアのジャーナリストでチェチェン戦争におけるロシアの戦争犯罪を報道・告発していたアンナ・ポリトコフスカヤが自宅アパートのエレベーター内で射殺されている。
このような二つの事件の報道がされる中で、体制批判のジャーナリストたちがロシアでは1999年〜2006年の間に126名が死亡あるいは行方不明となっているという。

2007年に、この事件が映画化され、日本では12月に公開された。英題は「REBELLION THE LITVINENKO CASE 暗殺・リトビネンコ事件」である。監督はアンドレイ・ネクラーソフである。WEB情報寄り道カフェから抜粋引用:
本作の監督であるアンドレイ・ネクラーソフもまた、ロシア・サンクトペテルブルグ州立演劇・映画研究院の1年生の時にKGBから圧力をかけられた経験をもっていることを作中で語っている。
2000年11月にロシアからトルコ経由でイギリスへ政治亡命で渡ったリトビネンコへの5年間にも及ぶ取材と、家族や容疑者、同じく暗殺された作家の証言から、チェチェン問題とロシアの実像をあぶり出す。
1998年に、リトビネンコはFSBの同僚たちと記者会見を行い、プーチン政権に反旗を翻したベレゾフスキー暗殺計画、殺人、強奪、マフィアとの関係などFSBの腐敗を告発する記者会見を行っている。
その前にも、元上司で今は弁護士をしているグサクと共に、秘密裏の取材を受けている。この時のテープは死後に公表することを条件に封印されたが、リトビネンコはこのテープを放映する。このテープもリトビネンコはネクラーソフ監督に渡し、作中でも映像として入れられている。

プーチンが大統領になった2000年に、息子の生命にも危険が及ぶことを恐れたリトビネンコはトルコ経由で家族と共にロンドンに亡命。
2002年にネクラーソフ監督は、亡命していたベレゾフスキーを介してリトビネンコと会い、以降彼へのインタビューを続ける。

FSBは政治的な秘密警察であり、過激な手法も使う機関だとリトビネンコはその実態を語っている。スパイ対策や対テロ防止のための組織ではなく、政権を維持するための機関であり、1999年から2000年にかけてのプーチン政権誕生でも彼らは秘密手法をフルに活用したと。プーチンもまたKGBに所属していた。
ロシアでは金でどんな情報も全て買える。金で兵士をチェチェンに売り渡していると。ある時は部隊ごと。
リトビネンコも告発したときに上層部から言われたそうだ。「このまま目をつぶれ。企業から賄賂をとって優雅に暮らせ。企業が見つからなければ、こちらで見つけてやる。」と。
汚職、暗殺計画、プーチン自身にまつわる麻薬組織との繋がり、公金横領などの闇の事実などなど。
「私の身に何かあった時はこのビデオを公表し世界に伝えて欲しい。
彼らは暗殺など平気だし、実際にやってきている。国内でも国外でも…」
生前、リトビネンコはアンドレイ監督とのインタビューについてこのように語っていたという。



そして、アンドレイ・ネクラーソフは「リトビネンコ暗殺事件についてイギリスの捜査当局から事情聴取を受け、その時は充分に話せなかったと、今にして感じる。本作が私の証言だ」と本作で語っている。

「この映画の製作は私自身のための浄化であり、私の目の前で悲惨な死を遂げた友人を失ったショックに立ち向かうための努力なのです」と監督は語る。
2007年5月25日、南仏カンヌ(Cannes)のカンヌ国際映画祭において、このドキュメンタリーは、急遽上映され、論争を巻き起こした。




2007年10月28日 03:56 (発信地:ロンドン/英国 )英大衆紙デーリー・メールでは下記の内容を報じている。アレクサンドル・リトビネンコ氏が英国秘密情報部(Secret Intelligence Service SIS)の工作員だったというものだ。

詳細はデイリー・メール紙を引用しよう:


【10月28日 AFP】英大衆紙デーリー・メール(Daily Mail)は27日、ロンドン(London)で殺害されたロシア連邦保安局(FSB)の、アレクサンドル・リトビネンコ(Alexander Litvinenko)氏が、通称MI6として知られる英秘密情報部(Secret Intelligence ServiceSIS)の工作員だったと報じた。

 殺害に関与したとされるアンドレイ・ルゴボイ(Andrei Lugovoi)氏は、モスクワ(Moscow)でただちに同紙の報道を支持するコメントを発表。ロシアの複数の通信社によると、ルゴボイ氏は今年5月にした主張を繰り返し、リトビネンコ氏はMI6のスパイで、MI6が同氏の死に関与していると語ったという。

 一方、英政府はリトビネンコ氏殺害の容疑者として、ルゴボイ氏の身柄引き渡しをロシア側に要求している。

 匿名の外交筋および情報部筋の話として、同紙は、前年11月に放射性物質により殺害されたリトビネンコ氏が、死亡時にMI6から毎月約2000ポンド(約47万円)の報酬を受けていたと報ている。

 また同紙は、モスクワに駐在していたこともあるMI6のジョン・スカーレット(John Scarlett)長官が、リトビネンコ氏の採用に関与していたとも伝えた。

 リトビネンコ氏の妻マリナ・リトビネンコ(Marina Litvinenko)さんはこの報道について「ばかげてる」と退けた。(c)AFP










参考




チェチェン紛争(チェチェンふんそう)は、ロシア連邦北カフカース地方に位置するチェチェン共和国における、ロシア連邦軍と独立派武装勢力との紛争





参考


Alexander Litvinenko

アレクサンドル・リトビネンコ

『ウィキペディア(Wikipedia)』

アレクサンドル・ヴァリテラヴィチ・リトビネンコ(ロシア語:Александр Вальтерович Литвиненко1962年8月30日 - 2006年11月23日) は、ソ連国家保安委員会(KGB)ロシア連邦保安庁(FSB) の職員だったロシアの人物。当時の階級は中佐。後にイギリスに亡命しロシアに対する反体制活動家ライターとなった。2006年、何者かに毒殺された。死の直前にイスラム教に改宗している[1]


1962年にロシアヴォロネジに生まれた。1980年、中学校卒業後、軍に応召。

1988年からKGBの防諜部門に勤務。1991年からロシア保安省(MB)ロシア連邦防諜庁(FSK)、FSBの中央機構で勤務。専門は、テロ対策と組織犯罪対策。1997年、FSB組織犯罪組織工作・活動阻止局の先任作戦職員、第7課副課長。

1998年11月、局の同僚7人と共に記者会見を開き、1997年11月に局長で少将のエフゲニー・ホホリコフと大佐のアレクサンドル・カムイシュニコフの二人に、ボリス・ベレゾフスキーとミハイル・トレパシュキンの暗殺を口頭で指示されたが、命令を拒否したと発表した。また彼は、FSBの一部幹部職員が政治的脅迫や契約殺人(つまり殺し屋)などの犯罪活動にFSBを利用していると告発した。それ以来、彼は脅迫を受けるようになった。ウラジーミル・プーチンは当時、FSB長官を務めていた。





 写真はロンドン中心部にあるUniversity College病院に入院していた際のリトビネンコ氏(2006年11月25日)。(c)AFP/Getty Images Natasja Weitsz




参考



ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンロシア語Владимир Владимирович Путинラテン文字転写の例Vladimir Vladimirovich Putin,ヴラディーミル・ヴラディーミロヴィチ・プーティン1952年10月7日 - )は、ロシア連邦政治家。第2代ロシア連邦大統領(在任2000年 - 2008年)。第5代および第9代政府議長(首相)統一ロシア党首(2010年現在)。ベラルーシ・ロシア連合国家(正式名称は「連合国家」)の閣僚評議会議長(首相)。






参考






FSB(Publicdomain)

ロシア連邦保安庁(ロシアれんぽうほあんちょう、Федеральная служба безопасности、略称:ФСБFederal Security Service of the Russian Federation、略称:FSB)とはロシア連邦防諜、犯罪対策を行う治安機関であるがCIS諸国内において限定的に諜報活動も行っている。2003年には連邦国境庁(FPS)が行っていた国境警備機能全体、連邦政府通信・情報局(FAPSI)が行っていたSIGINT機能、連邦税務警察庁(FSNP)が行っていた金融犯罪捜査機能の一部も移管され旧ソ連のソ連国家保安委員会(KGB)の姿に戻りつつある。


リトビネンコ

アレキサンドル

暗殺される

陰謀により

プーチン

ウラジーミル

FSB(ロシア連邦保安庁)

































参考



映画:

チェック:2006年にロンドンで起きたポロニウム210中毒死事件。その被害者となった元ロシア連邦保安庁中佐リトビネンコを追った、緊張感あふれる政治ドキュメンタリー。ロシアから政治亡命でイギリスへと渡ったリトビネンコへの5年間にも及ぶ取材と、家族や容疑者、同じく暗殺された作家の証言から、チェチェン問題とロシアの実像をあぶり出す。作り物のサスペンス以上に、謎に包まれた現実の怖さに背筋が凍る。

ストーリー:モスクワのアパート爆破事件は、チェチェンによるテロではなくロシア側の工作だったと主張した元FSB(ロシア連邦保安庁)のリトビネンコが、イギリスで放射性物質ポロニウム210によって暗殺される。2001年に政治難民としてイギリスに移住していた彼は、チェチェン戦争の真相や、FSBの実像とプーチンとのつながりを、カメラの前で赤裸々に語っていた。

参考

映画  暗殺・リトビネンコ事件(ケース) 

英題: REBELLION THE LITVINENKO CASE
製作年: 2007年
製作国: ロシア
日本公開: 2007年12月22日
(ユーロスペース)
上映時間: 1時間41分
配給: スローラーナー
カラー


2006年11月23日、ひとりの男がロンドンで放射性物質ポロニウム210服毒による多臓器不全により死亡した。彼の名は、アレクサンドル≪サーシャ≫・リトビネンコ。イギリスに亡命中の元FSB(ロシア連邦保安庁)中佐である。11月1日、ある調査委員会顧問と会食中に体調悪化により入院。20日、ロンドン警視庁対テロ対策本部は毒殺を企てられたと調査を開始。彼は、チェチェン戦争の裏側にある、FSBとプーチン政権の腐敗を告発していた。
 


2006年11月のリトビネンコの死。
そしてその1ヶ月前の10月7日には、ロシアのジャーナリストでチェチェン戦争におけるロシアの戦争犯罪を報道・告発していたアンナ・ポリトコフスカヤが自宅アパートのエレベーター内で射殺されている。
こんな二つの事件の報道で、体制批判のジャーナリストたちがロシアでは1999年〜2006年の間に126名が死亡あるいは行方不明となっているという事実を知り、ソ連邦からロシアへと、そのカーテンの向こう側の隠された実体に震撼させられたことは、まだ私の記憶に新しい。

本作の監督であるアンドレイ・ネクラーソフもまた、ロシア・サンクトペテルブルグ州立演劇・映画研究院の1年生の時にKGBから圧力をかけられた経験をもっていることを作中で語っていた。学内では旧友による密告を警戒するような環境だったという。彼は当時、英語に興味がありアメリカ人やイギリス人とつき合っており、密告によりKGBに呼び出され、彼らの情報を報告するように要求され、拒否したことにより退学処分となり、ドイツに出国した彼は、ベルリン映画祭でタルコフスキーと出会い、「サクリファイス」の撮影を手伝ったそうだ。その後パリ大学で言語と哲学の博士号をとり、ジャーナリストしても活動している。


彼は、ロンドンに亡命してきたリトビネンコと会う前から、チェチェン戦争について長年取材を続けていて、国家規模で行われた報復によってチェチェンの子供達、人々が受けた悲劇を短編映画にまとめ各地で上映会を行う活動を続けていた。作中でもその映像が流されていた。

テロと報復。
この映画をみて、第二次大戦後、世界はいっそう血なまぐさい紛争の絶える時はなく、そして、これらは今なお解決の糸口もないまま続いているということを、つくづく思い知る。

本作でアンドレイ・ネクラーソフは、ソ連邦が崩壊した90年代はロシアは自由だと思っていた。その裏までは見えなかった。そう語っている。

アレクサンドル≪サーシャ≫・リトビネンコは、愛国心の強い一途なひとだったのだろう。ネクラーソフ監督はそんな彼を「サムライ・サーシャ」と呼ぶ。
ソ連邦時代、1988年にKGB防諜部に入隊し、後にFSB部長に昇進した彼は1991年頃から組織犯罪対策とテロ対策に専任し、1997年にはFSBの極秘班である組織犯罪対策班に異動となっている。そして1998年、リトビネンコはFSBの同僚たちと記者会見を行い、プーチン政権に反旗を翻したベレゾフスキー暗殺計画、殺人、強奪、マフィアとの関係などFSBの腐敗を告発する記者会見を行っている。
その前にも、元上司で今は弁護士をしているグサクと共に、秘密裏の取材を受けている。この時のテープは死後に公表することを条件に封印されたが、リトビネンコはこのテープを放映する。このテープもリトビネンコはネクラーソフ監督に渡し、作中でも映像として入れられている。

このため捏造された罪により逮捕。裁判で無罪となるも、その場で新たな罪状で再逮捕されるというドラマが行われる。共に告発の記者会見をした同僚はインタビューで「リトビネンコ逮捕のための偽証を上から強要された。拒否した私もここにはおれない」と語っていた。

そして、プーチンが大統領になった2000年に、息子の生命にも危険が及ぶことを恐れたリトビネンコはトルコ経由で家族と共にロンドンに亡命。
2002年にネクラーソフ監督は、亡命していたベレゾフスキーを介してリトビネンコと会い、以降彼へのインタビューを続ける。

ロバート・デ・ニーロは「グッド・シェパード」でCIAの一端を描き出した。
CIAにしろ、本作で語られているソ連KGBそしてロシアにおけるFSBの実態。そしてチェチェン紛争。プーチン政権のダークな部分…マスコミ報道や書籍等からおぼろげに知っているつもりだが、こうしてリトビエンコという、その組織の中にいた人物、そして彼に関係する人たちの証言、そしてチェチェンの悲劇の映像を目の当たりにすると、やはりその生々しい事実には驚愕する。

チェチェン戦争は、一体誰が、何のために引き起こしたのか?
……この問いかけは、各地を回った上映会でも会場からの発言にもあった。

第二次チェチェン戦争の引き金になった一連のアパート爆破テロはFSBによって仕組まれたものだという。
ソビエト連邦下の非合法ともいえる情報機関・秘密警察KGBは、ソ連崩壊後、合法国家のもとFSBもまた合法組織として、その動きに制約を受けるようになる。
非合法に動けなくなった組織を動けるようにするには、国家が非合法となることだ。国家が非合法になれば、組織は非合法国家の下で合法組織として自由に動けると。そすして国家を非合法にするためには戦争をすることだ。そのために爆破テロが工作されたと……。
FSBは政治的な秘密警察であり、過激な手法も使う機関だとリトビネンコはその実態を語っている。スパイ対策や対テロ防止のための組織ではなく、政権を維持するための機関であり、1999年から2000年にかけてのプーチン政権誕生でも彼らは秘密手法をフルに活用したと。プーチンもまたKGBに所属していた。
ロシアでは金でどんな情報も全て買えると。
金で兵士をチェチェンに売り渡していると。ある時は部隊ごと。
リトビネンコも告発したときに上層部から言われたそうだ。「このまま目をつぶれ。企業から賄賂をとって優雅に暮らせ。企業が見つからなければ、こちらで見つけてやる。」と。
汚職、暗殺計画、プーチン自身にまつわる麻薬組織との繋がり、公金横領などの闇の事実などなど。

100時間以上に及ぶネクラーソフ監督とのインタビューを終えたとき、リトビネンコは「終った。全てだ」と言い、二人は握手をして抱き合う姿が映像に映されていた。

リトビエンコが、愛国心と正義でもって任務についていた組織に対し疑問をもつきっかけとなったのは、チェチェンに派遣され、多くのチェチェン人を逮捕した時、その中に17歳の少年がおり、なぜこんな馬鹿げたことをするのかと質問したところ、彼はクラスの全員がロシア軍と闘っている。だから僕も闘うと言ったという。その少年の言葉を聞いた時、彼は第二次大戦と同じだと思ったそうだ。あの時も我々は全員ドイツ軍と闘った。こんな気持で闘っている彼らに勝てるわけがない。何かが違うと。リトビネンコはインタビューで語っていた。

私の身に何かあった時はこのビデオを公表し世界に伝えて欲しい。
彼らは暗殺など平気だし、実際にやってきている。国内でも国外でも……
生前、リトビネンコはアンドレイ監督とのインタビューについてこのように語っていたという。


そして、アンドレイ・ネクラーソフは「リトビネンコ暗殺事件についてイギリスの捜査当局から事情聴取を受け、その時は充分に話せなかったと、今にして感じる。本作が私の証言だ」と本作で語っている。

射殺されたアンナ・ポリトコフスカヤもまた、第二次チェチェン戦争の引き金となったアパート爆破テロは「ヤラセ」であり、その後に「チェチェンからのロシア軍撤退」を要求する武装集団による、人質100人以上が死亡したモスクワ劇場占拠事件については、犯人の一人がプーチン政権下で働いている事実を新聞で報道し、ロシア側の手引きと扇動による惨劇だと告発していた。1000人以上の死傷者を出したベステン学校占拠事件の現場に向う飛行機で彼女は倒れ、病院で毒を盛られたと話していたそうだ。

ネクラーソフ監督は生前のアンナ・ポリトコフスカヤにも取材を行っており、その時のインタビューで彼女は「彼らは高みから私達を見下ろしてこう思っているわ。“好きに書くがいい、必要なら消すが、今は生かしておいてやる”と」と毅然と笑いながら語っていた。


このドキュメンタリーがカンヌ映画祭で急遽、上映されることが決定し、ネクラーソフ監督はその編集に追われていた時に、彼の家が何者かに襲撃されるという事件が起きている。通報を受けた彼は、編集作業でそれどころではなかったが、ともかくも撮影だけ行いにいった。冒頭でこの映像が映し出されていた。
窓ガラスが割られ、鋭く刺さる硝子の破片。部屋中が荒らされているが何も盗られていない。そしてベッドの上に本作のチラシにも使われている病床に横たわる彼の写真が置かれている。
この映像はかなりの恐怖だ。


<チェチェン戦争>
チェチェン共和国は、ロシア連邦南部の共和国。ソ連解体を前に1991年11月に独立を宣言。エリツィン大統領はこの離脱を拒絶し、チェチェンに連邦軍を投入。第1次チェチェン戦争が勃発した。1996年に休戦するが、ウラジーミル・プーチンが大統領に就任した1999年にモスクワでアパート爆破事件が連続して勃発し、ロシア政府はチェチェン人の犯行として、テロリスト掃討のため、再び軍がチェチェンに侵攻し30万人もの死者を出し、共和国の首都は壊滅状態になるが、ロシア政府による厳しい報道管制がひかれその実情はほとんど世界に知らされていない。
アカデミー外国語映画賞ノミネートされ、浅野忠信が唯一の日本人として参加している映画「モンゴル」の監督でもあるセルゲイ・ボドロフ監督が1996年に第一次チェチェン戦争を背景にした「コーカサスの虜」があるだけかな。
そして泥沼化したこの戦争は現在も続いている。
また2002年にはロシア軍のチェチェン共和国からの撤退を要求した武装勢力によるモスクワ劇場占拠事件が起き、突入した特殊部隊による催眠ガスにより人質100人以上が中毒死するという事件がおきた、2004年にも同じく武装勢力によるベステン学校占拠により1000人以上の死傷者を出している。
ロシア最大の外貨獲得資源である石油パイプラインの経路の一端を持つチェチェン共和国。資源をめぐる戦争がここにもあることが伺える。

………………………………………………………………………………

本作で語られている事が事実なのかどうかは定かではない。あくまでもリトビネンコや関係する人々の証言に基づくものだから。そしてロシア政府はその関与を否定している。
しかしリトビエンコやアンナ・ポリトコフスカヤたちジャーナリストの相次ぐ死亡や行方不明。
ロシア政府がチェチェン人の反抗とするアパート爆破テロはFSBの自作自演だという声も多く聞かれ、外国の報道機関にも、こうした情報は寄せられたという。


アンドレイ・ネクラーソフ監督は「ロシアでは大多数の国民が無力感に陥っている。真実や不正に対して無関心で、酒に溺れたり、正面きって政権を批判するのは無意味だと思っている。ソ連時代は物質的には不自由だったけれど、思考は自由だった。いまは心の中まで支配しようとしているのを感じる」と語っている。


何者かに射殺されたアンナ・ポリトコフスカヤもインタビューで「あの悲惨なテロがヤラセだったのに世間は無関心。政府も何の抗議もないことを見通している」と怒りの表情で語っていた。

リトビネンコの遺書が25日に公表された。その遺書のなかでも、プーチン大統領を激しく糾弾していた。

息子を殺させるわけにいかないと亡命を決意し、ロンドンで安全を手に入れたと喜んでいたリトビエンコだったが暗殺された。彼の妻は、「知りたいのは一つだけ。ポロニウムはどこから来たの?それだけ…」ラストでロンドンで散歩するリトビネンコたち一家の楽しげな姿が映し出されていた。

本作を見た後、邦題の「暗殺」と言う言葉が引っかかる。原題は「REBELLION」となっている。
自らの行為を「反乱」といったリトビネンコ。
「反乱・リトビネンコ事件」
この映画は、リトビネンコが自らの正義を貫いて告発した事件であり、その内容を記録したものでもある。
そのために彼は、やはり放射性物質ポロニウム210によって暗殺されたのだろうか。
イギリス捜査当局は容疑者とされる元KGB将校アンドレ・ルゴボイの引渡しを要求しているが、ロシア政府はこれを拒否している。
彼の毛は放射線物質によるのだろう。ふさふさとした髪の毛は抜け落ちていた。
リトビネンコとネクラーソフ監督はインタビューを通して、友情を育んでいった。
その友が、ポロニウム服毒による多臓器不全となり目の前で死んでゆく。彼の身体を泣きながらさすっているネクラーソフにとって、リトビネンコの死は大切な友の死でもあった。

今も世界で続いている紛争。世界の大きなうねりと、日本にいる私自身に大きなズレを感じる。
世界はこんなに血なまぐさく、悲哀に満ちていて、緊張と貧しさの中で闘っている人々が、国があり、なにも知らないことに、ちょっと薄ら寒さを覚える。















参考
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2303909/2289259

2007年10月28日 03:56 発信地:ロンドン/英国

【10月28日 AFP】英大衆紙デーリー・メール(Daily Mail)は27日、ロンドン(London)で殺害されたロシア連邦保安局(FSB)の、アレクサンドル・リトビネンコ(Alexander Litvinenko)氏が、通称MI6として知られる英秘密情報部(Secret Intelligence ServiceSIS)の工作員だったと報じた。

 殺害に関与したとされるアンドレイ・ルゴボイ(Andrei Lugovoi)氏は、モスクワ(Moscow)でただちに同紙の報道を支持するコメントを発表。ロシアの複数の通信社によると、ルゴボイ氏は今年5月にした主張を繰り返し、リトビネンコ氏はMI6のスパイで、MI6が同氏の死に関与していると語ったという。

 一方、英政府はリトビネンコ氏殺害の容疑者として、ルゴボイ氏の身柄引き渡しをロシア側に要求している。

 匿名の外交筋および情報部筋の話として、同紙は、前年11月に放射性物質により殺害されたリトビネンコ氏が、死亡時にMI6から毎月約2000ポンド(約47万円)の報酬を受けていたと報ている。

 また同紙は、モスクワに駐在していたこともあるMI6のジョン・スカーレット(John Scarlett)長官が、リトビネンコ氏の採用に関与していたとも伝えた。

 リトビネンコ氏の妻マリナ・リトビネンコ(Marina Litvinenko)さんはこの報道について「ばかげてる」と退けた。(c)AFP


参考

イギリス情報局秘密情報部(イギリスじょうほうきょくひみつじょうほうぶ、: Secret Intelligence ServiceSIS)はイギリス情報機関の1つである。外務大臣等の指揮下にあり、英国国外での人による諜報活動ヒューミント)を主な任務としている[1]

旧称からMI6(エムアイシックス、Military Intelligence section 6 - 軍情報部第6課)としても知られている。


リトビネンコ

アレクサンドル

SIS(イギリス情報局秘密情報部)

Secret

Intelligence

Service































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