| リンカーン大統領の暗殺事件 |


アメリカ建国後、少しずつ水面下で同志を増やしていたイルミナティが、本格的に活動を開始するのは、南北戦争の時だった。
彼らは当時大統領を務めていたリンカーンに近づき、ヨーロッパのロスチャイルド家との貿易を行うよう勧めた。内戦の最中である。貿易による利益はリンカーンにとっても魅力的だったはずだ。
だがリンカーンはイルミナティの計略を見抜き、きっぱりとこれを拒絶した。そして、自らの力で紙幣を作ることにしたのである。
このとき発行されたのが、「グリーンバックス (greenbacks)」 と呼ばれる、紙幣の裏面が緑色のインキで印刷されていた、アメリカ合衆国財務省発行の紙幣である。
連邦議会がこの紙幣の発行を認可したのは、南北戦争のさ中の一八六二年二月、戦費調達に困った財務省に対して、1億5000万ドルの合衆国紙幣の発行を認め、さらに同年七月と一八六三年一月と三月には合計三億ドルの追加発行も認めた。そして、トータルで4億3100万ドルが発行された。
このグリーンバックスは、金もしくは銀の準備をもたず、法貨であると宣言されたにすぎない法定不換紙幣だった。
こうしたリンカーンのやり方は、イルミナティのトップであるロスチャイルドを激怒させた。
その結果が、一八六五年四月十四日の悲劇だった。
この日、フォード劇場で「Our American Cousin」という現代劇を妻メアリー・トッド、と見に来ていたリンカーン大統領は、観劇の最中、北軍のメリーランド州出身の俳優ジョン・ウィルクス・ブースが至近距離から放った銃弾に倒れた。弾が当たったのは後頭部左耳後五センチのところだった。その場での即死は免れたものの、リンカーンは、翌四月十五日、運び込まれたウィリアム・ピーターソンの自宅で逝去した。
お金でアメリカを乗っ取る計画をしていたイルミナティにとって、政府による法定不換紙幣の発行は絶対に許すことができなかったのだ。
この暗殺がイルミナティによるものであることを示す証拠が聖書の中に組み込まれていた。「イルミナティ」「アブラハム」「リンカーン」「グリーンバック」「陰謀により」「暗殺される」「1865年」「4月」「14日(銃撃された日)」「15日(死亡した日)」これらすべてのキーワードを満たすバイブルコードである。


1865年4月14日に彼の暗殺直後リンカーンの財布で見つけられたので、「リンカーンの暗殺紙幣」として1864年から知られている、5ドルの南部同盟のお札
図3−15−1

図3−15−2
(2分割の図表)


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